ショート動画を無限に見続けても満足できないと気づき、ふと思い立ったのでメモ
消費と浪費の違いは?
消費:終わりがあること
浪費:終わりがないこと
と定義する。
すると、
消費:食事(満腹)、野球(1試合)、映画(1本)、筋トレ(オールアウトまで or 時間)、読書(1冊)
浪費:Youtube、ショート動画、insta、ソシャゲ、テレビ、Xのおすすめ欄
と分類することができる。
消費は満足できるけど、浪費は満足できない。際限がない。
終わりとは何か?
終わりは3種類あると思う
- 強制的、外的要因による終わり
- 内発的な終わり、自分で決めるもの、目標
- 不可逆的なもの、時間
人間は終わりがないと満足できないのか?
目的があるかないかで満足できるかは変わる
ただ意味もなく、ショート動画を見てもドーパミンの分泌される。ドーパミンはもっと欲しがるので一向に満足できない。
一方、読書は目的が知識の獲得だとすれば終わりがあるので満足できる。
要は目的を持っており、それが達成されれば満足する
大切なのはどの行動をするにおいても、なぜこれをやるのか?(Why)に対して明確な答えがあるかどうかである。
個人的には明確なWhyを持っていること以外はやりたくない。やらない。
人間は目的のために、行動する。
人間になぜ目的が生まれるのか?
2つあると思う
- 不快を取り除くため
- 快を感じるため
不快を取り除くことは明確に終わりがある。満足できる。
例:お腹すいた(不快)→食事(行動)→満腹(不快がなくなる)
他方、快を感じるための行動は終わりがない。
快とは面白い、幸せ、楽しい、気持ちいい。
刺激を受けてこれらを感じる。
ただ、人間は刺激になれる生き物なので、より強い刺激を求めるようになる。
強い刺激を求めるのはよくないことか?
面白すぎる?楽しすぎる?幸せすぎる?気持ち良すぎる?
いいことの様に思えるが…間違いなく刺激の強さは上がる。
ここで弊害として考えられるのは、
・快の感情を求めるあまり金を使いすぎてしまう
→不快を取り除くための手段がなくなる。→不幸せ。不幸になる。
・ポルノ依存症になる
→EDになる。→不幸せになる。
・SNS中毒、スマホ中毒になる。
→不快を取り除く行動をするための時間がなくなる。→不幸に。
ここで一つ重大な気づきがある。人間の取るべき行動には優先順位があるということ。
まず、不快の要素を取り除くための行動をしてから、快を感じるべきということ。
快を感じることを優先していても、不快からは逃げられない。
自分自身の不快は何か?
今感じている自分自身の不快を列挙してみる
・自分で仕事内容が選べない
・仕事内容が難しい
・時間がない
・会社に命じられれば田舎に転勤しなくてはいけない
・収入が会社に依存している
・家族を養っていける経済力があるか不安
これらの不快を取り除くための行動は?
・起業。会社員を辞めて経営者になる。
・錯覚資産を得る
・仕事で実力をつける。
・仕事で結果を出す。
・資産1.5億円へ
これらを目指す。ただ、目指す過程で不快が出てきたらそれは取り除くようにする。ストレスを溜めない。休息するなど。
今しかできない快の感情を感じる行動はしないのか?
友達と飲みに行ったりすることは今しかできないこと。
それを捨ててまで不快を取り除くことを優先すべきではない。
だから俺は不快を取り除くこと+今しかできないことに時間を使うことにする。
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